1996年4月1日。Jリーグ選手協会が設立となり、都内のホテルで記者会見が開かれた。会員となった選手の数は468名。きっかけとなった川淵三郎チェアマン(当時)による「海外のサッカー文化を見習うと、日本のサッカー文化発展のためには選手協会という存在を設立することが必要である」との呼びかけがあったのが1994年1月。それから立ち上げにいたるまで、2年の歳月がかかったことになる。「苦労しましたよ」と準備委員会からリーダーとなり引っ張ってきた柱谷哲二は語る。
― どんな点に苦労したのですか。
「資金を集めることです。それが無ければどうしようもないですからね。最初はJリーグから『寄付という形で資金を提供するよ』って言われていたんですけど、最後の最後の詰めのところで大どんでん返しがあって、当初は出せないってことになって。でも、サッカー界の将来を考えると、選手協会は絶対に必要だと思っていましたから、これは自分たちで資金を調達しないといけないと考えたわけです」
― どの程度の運営費が必要だったのですか。
「例えば対外交渉をするにも、僕や都並さん(都並敏史/当時の副会長)や信藤さん(信藤健仁/当時の副会長)が練習を終えてから歩き回って交渉するわけにはいかないですよね。となると、とりあえず人を雇わなければいけない。人を雇えば事務所も必要になる。そうなると、最低限その人の給料を払えるだけの資金を確保しなければいけない。じゃあ、毎年必ず安定して入ってくるものは何か、と考えたわけです」
― 結論としてたどりついたのが…
「会費です。選手から資金を調達することでしたね。年俸によって何パーセントの会費という形にして」
― 勇気のいる決断でしたね。
「いろいろ考えましたよ。どうやったら納得させられるかって。どうやったら文句を言われないかなとかね。まあ、そのくらい申し訳ないと思っていたし、でもこれをやらないと立ち上げも出来ないという葛藤も自分の中にはありましたね。最終的にはもう僕自身が批判されてもいいから、やるしかないだろうって。それで、かなり強引に『じゃあ会費を集めますので』と、もう有無を言わさない方法でバババッと決めていって。高い会費も取るかもしれないけど、その後自分がいなくなった後に変えていけばいいわけだし、まずは立ち上げて活動する事を優先として動き始めました」
【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫
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