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― 1998年の年末といえば、フリューゲルスの問題もありました。

「選手協会の力のなさを痛感したときでもありました。僕らがJリーグから伝えられた時期は、チームがなくなること自体はどうしようもないという段階でした。でも、選手の立場…特に当事者のフリューゲルスの選手としては、チームをなくさないでくれよ、スポンサーや他のチームが買ってくれたりすることは出来ないのか、選手協会でなんとか消滅を阻止できないのか、という気持ちでした。僕たちもなんとかしたかった。でも、すでにどうにもならない状態で、フリューゲルス自体がなくなるという事実を覆すことはできませんでした。心も痛いし、頭も痛かった」

― どのような対応が議題にあがったのですか。

「通常の意見提出でもそうですが、選手協会の代表者会議で意見をまとめて『選手の総意です』とJリーグに持っていくという方法はありました。しかし『総意です』と出しただけではどうにもなりません。もちろん、みんなで抗議しようという意見もありました。ただ、そうしても動き始めたものは止まりません。結果として、フリューゲルスにいた選手たちがサッカーをできなくなるようなことだけは阻止して、離れてもほかのチームでサッカーを続けられるようにするのが現在できるベストだろうというのが選手協会としての考えとなり、そのためにいろいろな働きかけをしていきました」

― 選手の職場を確保するということですね。

「フリューゲルスの選手たちは、チームがなくなって離れるのは辛いけどそれでもサッカーを続けていければ、という考えを最終的には持ってくれたかも知れません。『それじゃあなあ』と思ったかも知れません。100%の満足をしてくれたわけではないと思います。僕ら執行部に対しては不信感を持ったかも知れません。そこがとても残念ですし、ひとつの苦い過去ではあります」

― 今後に向けてのアドバイスをお願いします。

「セカンドキャリアのことなど、少しずつですが進歩がありますので、そういうことを継続してやっていくべきだと思います。必ず12月や1月の時期には、契約が満了した選手でごった返します。そのときになってはじめて選手協会に話があったりするわけです。もちろん移籍もそうですが、就職先がないかというのもそうですよね。そのへんをいかに解決していくかということが今後の課題になると思います。もちろん、プロの世界なので厳しいのは当たり前なのですが、選手としてではなくとも、他のセカンドキャリアの部分を手助けしていくことも必要だと思います。サッカーの仕事を続けたいという人もいるでしょうし、スパッと切り替えて違う仕事に就く人もいると思います。そういう部分の手助けがなるべくできるようになってほしいと思っています。
まあ、いろいろ大変でしたけど、選手協会を作ってよかったなと思いますね。選手の立場も向上していますし」

― どうもありがとうございました。


【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫
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