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― 奥野さんは、98年に鹿島の代表者、99年に支部長、その秋に副会長に就任しました。その時に考えておられた課題はどんなところだったのでしょうか。

「選手のプロ契約制度もABC契約へと変わり、契約金もないという環境になってきたところだったのですが、若い選手を守りながら、少年たちが将来に不安を抱くことなくサッカー界に入って来られるような環境にする事が、僕の中での希望であり課題でした」

― 具体的にはどのようなことを考えられたのですか。

「セカンドキャリアへの取り組みが早急に必要なんじゃないか、ということですね。
 選手の生活を守るという意味で、まず契約制度に関しては、Jリーグ、選手協会ともに話し合いの場は持たれていました。それにクラブがなければ選手も存在できませんので、クラブに大きな負担をかけるような早急な動きは望めません。だったら、自分たちには何が今出来るのか、と僕たちが考えたのが、セカンドキャリアへの取り組みです。リタイアした後でも、プロサッカー選手という特殊技能を持った職業を継続的に広めていったり、その経験を活かしたような仕事に就けたりするような職業訓練制度などを設けていかなければいけないんじゃないかと。当時は痛切に感じていましたね」

― 新しい制度を作ってもらうという意味ですか。


「いえ、組織とか機構側におんぶにだっこというわけではなく、選手自身が自分たちで自覚を持って取り組むことから始まるんだ、という認識を持ってやっていました」

― チームの現場において、選手の認識はどうだったのでしょうか。

「鹿島ではみんなに…特に若い選手に、そういう認識を持ってもらえるよう話をしていましたが、なかなか浸透しづらかったですね。というのは、セカンドキャリアだけではなく、まず意識の改革をしなければいけなかったからです。
 Jリーグのプロ選手の世界に飛び込んでくるのは高校を卒業したばかりの選手です。まだ彼らには自分で自分のことをする習慣はないんですよ。たとえば、住民票の移動とか印鑑登録なんかも、親や他人任せにしているわけですね。そんな状態ですから、自分の今後を考えていく上で、生活をトータルで考えたファイナンシャル・プランニングのイメージも持ち合わせていない。行き当たりばったりじゃいけないんだよ、その先のことも考えないと、って地道に話していくしかなかったですね」

【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫
 
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