J.LEAGUE PRO-FOOTBALLERS ASSOCIATION-有限責任中間法人 Jリーグ選手協会-

ENGLISH
HOME
  • NEWS
  • JPFA MEMBER'S BLOG
  • JPFAの活動
  • ARCHIVE
  • LINK
  • INFORMATION
  • 選手協会とは
  • ご挨拶
  • 理念
  • 組織
  • 役員
  • 名簿
  • 歴史
  • FIFPro
  • MAIL
  • 社会貢献
  • スクール
  • ボランティア
  • サッカーの普及
  • サッカークリニック
  • 引退試合
  • 契約・引退
  • 契約制度
  • 移籍の活性化
  • 契約上の支援
  • 公認選手エージェント
  • Jリーグ合同トライアウト
  • 講習会
  • 新人研修
  • 指導者ライセンス
  • 保障
  • 共済制度
  • 年金制度
  • セカンドキャリア
  • 引退後のサポート
  • コミュニケーション
  • Jリーグ、JFA
  • 総会.役員会.クラブ訪問
  • 公告
  • 公告
  • MAIL TO JPFA

  • PLAYER'S INTERVIEW
  • PLAYER'S HISTORY
  • CHECK&CHECK
  • ファミリーサッカークリニック
  • TRY OUT インタビュー
  • オレたちの世代 U-20 CANADA
  • 指導者への道
  • Out of Nigeria

BACK NUMBER

2009年度一覧
2008年度一覧
2007年度一覧
FILE004  
箕輪義信 選手
生年月日 : 1976/06/02
身長/体重 : 187/83
ポジション : DF
経歴 : 向丘中-弥栄西高-仙台大-ジュビロ磐田

― 小学生時代(津田山FC)

幼稚園の頃からサッカーはやっていたんですけど、小さい時は遊びの一環だったので、勝ったり負けたりとかを意識し始めるのは小学校の高学年ぐらいだったと思います。といっても、小学校時代も、勝負にこだわるよりも、仲間と一緒にサッカーをすることの楽しさを…また遊びの一環になっちゃうんですけど、植え付けてもらったな、と。今でもやっていられるのは、小学生時代にサッカーが好きだという意識ができたからだと思うので、一番影響した部分じゃないかなと思います。

― 中学生時代(向丘中学校)

中学校は普通に地元の中学校に進学しました。当時の川崎のサッカーの事情は栄えているわけではなかったので、静岡の方とか、そういうサッカー先進地にしてみれば、ものすごく後進地というところだったので、後から見たり聞いたりして、自分はなかなかすごいところでやっていたんだなと思いました。(笑)ですから、中学校時代も、技術や戦術に対して取り組んでいるわけではなく、サッカーは仲間とやって楽しいんだなというのをずっと頭に置いてやっていたかなって。チームは市で優勝していましたけど、市から県に移った時に、サッカーのギャップがあまりにもすごくて、カルチャーショックを受けたんですね。外の世界はものすごいぞ、と。市内で強かったから鼻高々だったんですけど、外に出てみたら、横浜や湘南が強くて、何てことはない、簡単にやられちゃう感じのチームでした。

― 高校への進学

都内の私立校に推薦でセレクションを受けに行かせてもらって、受かったんです。その学校はサッカーでは名前も通っている学校だったのですが、練習が苦しいんじゃないか、上下が厳しいんじゃないか、校風が自分にはあまり合わないんじゃないか、学力もちょっと無理しなきゃいけない、と悩んでいたところに、選抜で練習に行っていた多摩高校に来ていた、県立弥栄西高校の大野真先生(現神奈川県サッカー協会技術委員長)から誘いがあったんです。自分はAクラスの選手は要らない、Bクラスの選手を探して育て上げていい選手にしたいんだ、そういう選手が川崎にいないか探していたんだ、という話を聞いたんですね。自分としてもAクラスの選手ではなかったですし、なによりも、その時の真っすぐ目を見て話してくる先生の熱意を感じて、この人はすごいんだろうな、ついていってもいいかなと思って。それで私立をけって、一生懸命受験勉強をしてそこに入ろうって決めました。

― 高校生時代(弥栄西高校)

入学した時に、大野先生から「これから3年間同じことをやり続けるぞ」と言われたんです。「今年結果を出そうとは思わない。君たちが2年半後に選手権に出て、ちゃんとした結果が出せるように練習をしていくつもりだから、それを念頭に置いて練習をして欲しい。 それでつまらなかったらやめればいい」そう言われて。毎日、毎週、同じことの繰り返しだったですよね。そんな繰り返しの中でも、すごく前向きな仲間に恵まれたんですね。みんなで楽しく。課題も、より正確にできたら楽しいだろうとか、みんなで盛り上げながらできたのが良かったんじゃないかなと思います。
結果的に選手権には出られませんでした。当時、やっている側も、まあ無理だろうなと思いながらやっていましたけど。新人戦ベスト4、インターハイベスト8、選手権ベスト16と、どんどん下がっていっちゃって。だけど悔いはなかったし、すごく楽しいサッカーを3年間やれたなという気持ちでした。

― 大学への進学

関東の大学に推薦が受けられるかどうかフィフティフィフティの話がひとつあったんですけど、関東って今でもそうだしこれからもそうなんだろうけど、全国の有名な選手が集まってきますよね。選手権も出てない、インターハイも出てない、国体も入ってない、1回もそういう経験がない自分が、本当に勝負をかけて切り開いていける道なのかどうかを先生と相談したんです。そうしたら、先生が仙台大の話を持ってきてくれたんです。「ちょうど、ディフェンダーが全員4年生で、入れ替えで全部空く。その空いたところに、もしかしたら1年目から出られるかもしれないから、そのチャンスをつかみに行くか?」ということを問われたんですね。仙台大というのは当時、東北だったら全国に出れて当たり前みたいなところだったんです。先生は「とにかく全国を経験してこい。全国に出て力を見せてこい」と言ってくれて。僕も1年目から出られていい経験ができるんだったら、是非行かせてください、自分がそっちのほうが輝けると思います、と仙台大を選びました。

― 大学生時代(仙台大学)

実際に、自分ができることをはっきりさせて、できることを一生懸命やっていたら、体の大きさも先生が気に入ってくれて、1年目からずっと出させてもらえました。そこから4年間ずっと出させてもらっていい経験をさせてもらったので、決して選択は間違ってなかったですね。そんな中、1年生の一番最後に地域対抗の選抜大会があるんですけど、その北海道東北地区の選抜に選ばれたんです。これには驚いてしまったんですが、怖いもの知らずというか、自分があまり関東の方も関西の方も詳しくなかったので、楽しく、とにかくぶつかって試合をしたら、今度は東西対抗戦に出させてもらって、そしたら今度は全日本選抜に選んでもらって、本当にその年はとんとん拍子でびっくりしましたね。ただ、経験のなさや、東北と関東の意識の差とかをすごく痛感して帰ってきて。2年生のときにユニバーシアード日本代表の選出があったんですが、最初はメンバーには入っていなかったんですね。いつか呼ばれたらいいなと一生懸命練習をしていたら、同じポジションの人が怪我をして僕が追加で招集されたんですね。そこで何とかレギュラーをつかんで、試合に出させてもらったんです。それがとてもいい経験になって、初めて「こういう人たちとずっとやってみたいな」と思うようになって。みんな上手かったですね。東北では感じられないスピードと技術があった。スピードに関しては川口信男(現FC東京)、高さと上手さに関しては寺田周平(現川崎)、それはすごいなと思いました。やらせてもらって、やっぱりこの人たちとやってこそ楽しい、ワクワクする。今でもそうですけど、強い選手とか速い選手、上手い選手とやるときはすごくワクワクするし、その気持ちにはやっぱりうそをつけなかったし、「あー、プロに行きてえな」と本当に思うようになったのはその時でした。
大学では、いろいろな経験をしました。決して周りの意識が高いわけではなかったですし、個人で選抜に行ってすごく批判も受けましたし、いろいろな人とけんかもしました。その中でも、やっぱりいいものを作り上げるということをずっと貫いてやってきたその精神力を鍛えられた面や、自分が上手いと思って外に出たら全然上手くなかったというところで気持ちをズタズタにされて、そんな中からまた這い上がる経験をできたのはすごく大きかったです。

磐田から話があったのは4年生の時で、練習をしていたらスカウトの方が来てくれていて、そこで話をしたんです。でも、当時の磐田ってものすごく強かったじゃないですか。自分の力を過信しちゃいけない、行ったところで1年とかで終わってしまったら意味がなくなるから、できるだけ長くやりたいと、こっちから相談をさせてもらったんですね。「即戦力じゃ使えないです」って自分から言ったんですよ。そうしたら「即戦力では考えてない」と言われて。(笑)だけど、僕は素直に言ってくれたことが逆に嬉しくて、ちゃんと見ているんだなと思って、「じゃあ行きます、お願いします」ということになって。自分にとっては留学みたいな気持ちで、あんなレベルの高いところでできるんだったらその後に役に立つんだろうと思って、とにかくそこに身を投げて、自分がどれだけ成長できるのかというのを試してみようと思って全部お願いしました。

― プロになれた一番のポイントは?

ずっと変わらずに思っているのは、「サッカーは楽しい」ということです。ただ「楽しい」という気持ちはいつからか「勝ったときが楽しい」という気持ちに変わりました。チームが勝った時に、「やってきた努力が報われた」という気持ちが生まれてきて、それが次のやる気につながって、その繰り返しをずっと続けて来たということだと思います。人には負けたくないんだ。そういう気持ちが大切なんですよね。この気持ちがなくなったらもう終わりだろうし、それがずっと続けられているということが、僕がサッカーを続けているということだと思います。


【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫

COPYRIGHT(C)J.LEAGUE PRO-FOOTBALLERS ASSOCIATION. ALL RIGHTS RESERVED.