J.LEAGUE PRO-FOOTBALLERS ASSOCIATION-有限責任中間法人 Jリーグ選手協会-

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FILE006  
内山俊彦 選手
生年月日 : 1978/10/21
身長/体重 : 180/70
ポジション : DF
経歴 : れいめい高-日本体育研究所-モンテディオ山形

― 小学生時代( 丹波小学校→高尾野小学校 )

僕は小学校 3年生で丹波小学校(鹿児島)の少年団に入りました。兄がサッカーをやっていて、ずっと一緒に見に行っていたから興味はあったんですけど、3年生からしか入れなかったので。丹波小学校の少年団は強かったので、サッカーのレベルが高かったんですね。その中でうまくなりたいと思って、基礎的な練習をしっかりやっていました。それで、頑張っていたんですけど、父の転勤で高尾野小学校へ転校。でも丹波小に比べて、高尾野小は弱くて…。(笑)

― 中学生時代(高尾野中学校 )

同じ地域に強いチームが2チームあったため、なかなか県大会に出られないんです。全学校での大会であればベスト8くらいまで行くんですけど、地区予選がある場合はその2校が強くて勝ち上がれないので、県大会には出られなくて…。僕自身は県を4つに分けた北薩地区の選抜には入れたのですが、県の選抜には入れませんでした 。

― 高校への進学

場所的に鹿児島実業が南にあって、れいめい高校が僕が住んでいた高尾野と鹿実の間にあるんですね。僕たちが中3の時に、鹿実に勝ったれいめいが選手権に出たんです。場所的にも北薩の方の中学は、みんなれいめいに行っていたし、強かったので、あまり悩まずに、声をかけてもらったれいめいを選んで、入学しました 。

― 高校生時代(れいめい高校)

2年の時に大西さんという元セレッソの社長をされていた方が1年くらい入ってきてくれたんです。その時にしっかり鍛えられて、九州大会で3位に入りました。大西さんの教えは、とにかく全てが新鮮でした。新しいトレーニング方法でしたし、走りもすごかったですし、戦う上での気持ち的な部分も強く鍛えられました。チーム全体が大西さんの話すことで全部まとまっていて。奄美に合宿に行ったんですけど、ご飯を食べている時と寝ている時以外はずっとサッカーでした。4部練とか5部練とか。(笑)朝起きたらすぐに 10km走だったりして。そんな風に追い込まれる合宿でした。ハーフコートで3対3とか2対2とかやって。鬼のような感じでしたけどね。(笑)その後、インターハイ予選では鹿実に勝ったのですが、選手権では負けて全国には出られませんでした。

― 専門学校への進学

九州の大学からいくつか話はいただいたんですね。いろいろと考えたんですけど、自分としては日本体育研究所という学校に行きたいと思ったんです。そこは、その年から始まったサッカーの学校みたいなところだったんです。九州の大学へ行っても4年もあるし、その専門学校は2年だったので、「早くプロになりたい」って気持ちが強かったものですから、まずは実力を磨こうと思って選んだというか。これが関東や関西の大学だったら話は違ったかも知れませんが。

― 大学生時代(日本体育研究所)

ここはサッカーは良かったんです。今、鹿島の育成をやっている亀谷さんという方が監督をやっていて、その監督がすごくよくて。今も連絡をとる関係なんです。場所は石川県の金沢市にあって、やっているサッカーは本当に良かったんですけど、 1年目ということでまだなにも揃っていなくて、授業はどこかの教室を借りてやって、午後から練習…というのがスケジュールでした。そんな感じでしたので、5年目くらいに廃校になっちゃいました。なんか母校がなくて寂しいんですけどね。(笑)

入学して半年くらい立った頃、遠征で山形に行って、大学と試合をしてきたんですね。その試合を当時山形の監督だった石崎さん(現柏監督)がたまたま見に来ていたんです。僕はただ一生懸命やっていただけだったのですが、「来週、練習参加してみないか」って声をかけてもらって。「僕ですか?」って感じで練習に参加させてもらい、契約してもらえることになったんです。とてもうまくタイミングがかみ合っていたと思うんです。タイミングが一歩違えば、今ここにもいなかっただろうし、サッカーを続けていたかどうかもわかりません。今までに、自分より上手い人は沢山いたんですけど、プロの世界にはタイミングだったり、ポジションが急に空いたりというのがうまく合わないと入れませんよね。そういう意味では、自分が選んだ道は間違っていなかったと思っています。

― プロになれた一番のポイントは?

一番は高校時代に築かれたフィジカルですね。人より走れて、上下動が出来て、飛び抜けてはいないけど人より身体能力がある、ってところだと思います。


【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫

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