― 小学生時代(仙台市立蒲町小学校) 僕は小学校1年生からサッカーを始めました。最初は野球をやりたかったんですけど、野球の少年団に入れるのが3年生からで、サッカーは1年生から入れたから…というのがサッカーを始めたきっかけです。(笑)小学校では楽しくサッカーをやるということがメインだったのもあってか、僕の代はあまり強くなくて、市内ではあまりいい成績を残せませんでした。個人的には5年生くらいからトレセンのメンバーに入れるようになりました。 ― 中学生時代(仙台市立蒲町中学校) 中学校時代もあまり強くないチームなうえに、先生もサッカー未経験で、大会とかではいい思い出はありませんでした。ただ、僕自身はトレセンにずっと選んでもらっていたし、3年生のころにはU-16日本代表候補としてナショナルトレセンにも参加させてもらいました。
― 高校への進学 3年生のころから仙台育英の練習に参加するようになっていて、父親も仙台育英だったこともあったし、当時は他と比べて環境がとても良かったので、あまり迷わずに仙台育英への進学を決めました。 ― 高校生時代(仙台育英高校) 仙台育英は東北の中でも強かったのですが、けっこう走らされたりして、精神的に鍛えられました。1年生から試合には出させてもらっていたんですが、選手権には一度だけ、ボランチをするようになった2年生の時に出ました。1回戦では土佐高校と試合をして5-2で大勝したんです。「これはいけるな」って思っていたんですが、2回戦で無失点優勝した市立船橋と当たっちゃって。2回戦で敗退してしまいました。
3年生の夏にいろいろあって伸び悩んでしまって、その年の選手権には出られなかったんです。それでプロからは誘いが来なかったんですが、目をつけてくれた仙台大学の監督が誘ってくれたので、大学に進学しました。
― 大学生時代(仙台大学) 仙台大学でやっていたんですが、やはりサッカーに集中したい気持ちが強くて、授業にもなかなか身が入らなかったんです。そうしたらコーチが「ジェフ・アマチュアで仕事をしながらプロを目指すという道もあるぞ」と勧めてくれて。それで大学を中退してジェフ・アマチュアに入ったんです。
― ジェフ・アマチュア時代 まだ地域リーグの頃に入ったんですが、レベルはもとより、周囲のみんながものすごくハングリーで、その気持ちに強く影響を受けました。僕は昼間とび職をして働いて、夜からサッカーをするという生活をしていました。とびは朝が早いし、夜じゃないとサッカーはできないので、かなりハードで、厳しかったですけど、そのころ子どもが出来て、精神的に成長した部分があったんです。 そんな影響もあってか、1年半後の天皇杯が終わった時に、「トップチームの練習に行け」とアマチュアの監督から言われたんです。特に感動はありませんでしたね。そのうち行けるだろう、という気持ちも自信もあったんです。それでトップチームの練習に加わったんですが、かなりレベルが違ったものの、その時ものすごく調子が良かったんです。トップ下とボランチで練習試合をやって、ずっと調子がよくて、これは行けるかなって思っていたら、ベンチとかにも入れてもらえて。その流れでプロ契約の話になって、迷うことなく契約をしました。
― プロになれた一番のポイントは? 精神的な成長があったからだと思います。ジェフ・アマチュアに入るまでは、自分がこうなりたいと思っていても、さぼってしまったり、結局どこかに甘さがあったんですね。ジェフ・アマチュアに入って働き始めてから、精神的に強くなれて、サッカーにも集中できるようになりました。それが一番のポイントだったと思います。