PROFILE
08.03.01 UPDATE

― 小学生時代(善道寺サッカークラブ)
 1年生の時、野球を始めたんですが、1年生なのにベースを数周うさぎ跳びするんですよ。それで3日でやめました。(笑)3年生の夏に、友だちが入ったので、サッカーを始めました。みんな友だちだったので、和気あいあいとやっていました。ただ、僕は小学生時代、人の話を聞かなかったので、よく怒られていました。(笑)善道寺サッカークラブは、久留米市の中では強いチームでした。でも、筑後という地域になると、古賀正紘(柏)がいた大川という地区があって、そこがサッカーが強かったんです。どうしても大川には勝てなくて、県大会には行けませんでした。

― 中学生時代(久留米市立屏水中学校)
 クラブチームに入るか、中学校のサッカー部に進むかで迷ったんですけど、一緒にやってきた友だちとやりたかったので、サッカー部に進みました。あまりサッカー部に力を入れていないところで(笑)、みんな楽しくやろうよって感じで、自分たちでメニューを組んで楽しくやっているチームでしたね。そういうことを聞いていたので、クラブチームに行きたかったんですけどね。(笑)それでも久留米市内では一番でした。ただ、やはり地域に出ると大川市の中学校に負けてしまって、県大会に進めませんでした。中学校ではハーフでしたが、3年生には久留米市選抜に入って、サイドバックで県選抜に選ばれました。その頃は下手だったので、選抜には僕より上手い選手がいっぱいいて、ついていくのでいっぱいいっぱいでした。

― 高校への進学
 中学校の先生が東福岡高校の志波先生の先輩か後輩だったので、話をしてもらって、推薦で特待生待遇で入学しました。

― 高校生時代(東福岡高校)
 最初は不安の方が大きかったんですね。上を目指してやってきたサッカーではなかったので、技術面に不安があったんです。東福岡には上手い選手が多くいたので、3年間やっていけるのかなあ…って感じでした。ただ、自分には基本的なことが欠けていたので、ここでしっかりと基本練習をしようと思って、徹底的に練習をしたんですね。今でも、高校時代が自分の原点になっていると思います。春から練習には参加して、遠征にも帯同させてもらっていました。古賀は同期なんですが、フォワードをやりたかったらしくて、フォワードに挑戦していましたね。チーム自体は僕の入学する前の年から選手権に出て、ベスト4で国見に負けたんですが、それ以降もずっと全国に行けていたので、強かったと思っています。1年生で選手権に出ましたが、試合には絡んでいません。2年生の時にはインターハイと選手権に出て、ちょこっと試合にも出させてもらいました。3年生の時はレギュラーになったんですが、インターハイも選手権も全国には行けませんでした。

九州大会の時に愛知学院大の監督が見に来ていて、話がきているぞと志波先生に教えてもらいました。もうひとつ立正大学からも話があったんですけど、愛知学院大の方が全国大会へ出られる機会があるということで、こちらを選択しました。

― 大学生時代(愛知学院大)
 愛知学院大にも能力の高い選手がいたんですけど、自由奔放な大学だったので、監督がびしっと締めるわけでもありませんでしたし、試合になって噛み合えばすごく強いんですけど、噛み合わなかったら一人一人が勝手にやっちゃうようなチームだったんですね。だから悪い時は本当に悪いチームでした。自分には合っていたとは思うんですけどね。3年生の時に一度だけ総理大臣杯に行きまして、ベスト4に行きました。僕は予選の決勝で足首を捻挫してしまったので、全国大会には出られませんでした。4年生の時、天皇杯本戦には出ました。2回戦の時にリトバルスキーが監督をやっている横浜FCと対戦して2-1で勝って、本戦でジュビロと対戦して5点ぶち込まれて負けてしまいました。ジュビロはすごいメンバーでしたね。藤田さん、福西さん、服部さん、中山さん、川口さん、田中さん、鈴木さん。早かったですし、フィジカルが全然違いました。中盤でボールを奪っても、また身体をぶつけられてボールを奪われて。本当に完敗でした。

結局、サッカーでは行くところがなかったんですが、どうしてもサッカーをしていきたかったので、就職はせずに、大学の時にしていたカラオケ店のバイトを続けながら、卒業したのちにセレッソと鳥栖の練習に参加させてもらいました。春先でしたから、走り込みが中心になるので、僕も身体が出来てなく、アピールすることはできませんでした。そんな中、大学の監督からJFLにあがったばかりの愛媛FCがセンターバックを探しているぞ、という話をもらったんです。Jリーグにはもう行くところもなかったですし、サッカーを続けて行きたかったので加入をすることになりました。最初はプロ契約とかではなかったので、ずっとバイトをしながらサッカーを続けていました。プロ契約をしたのはJに上がる前の年です。その時は練習もしなくちゃいけないし、バイトもしなくちゃいけないし、生活としてもどん底でしたので、ようやく報われたな…と思いましたね。

― プロになれた一番のポイントは?
 サッカーを一番に考えていたことでしょうか。本当だったら、サッカーの時間以外の就職先を紹介してもらうこともできたんです。でも、責任が持てなかった。もちろんバイトであろうとも責任はあります。でも、社員とバイトでは責任の重さが違ってしまいます。サッカーをしながら会社員をする。会社員をしながらサッカーをする。その二つとも責任を背負っていくことは、僕は不器用なので出来ませんでした。それで生活は苦しくとも、バイトでギリギリの生活費を稼いでサッカーに打ち込んだんです。それが良かったのではないでしょうか。

【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫
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