J.LEAGUE PRO-FOOTBALLERS ASSOCIATION-有限責任中間法人 Jリーグ選手協会-

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PROFILE

PROFILE

森岡隆三選手

生年月日:
1975/10/07
身長/体重:
180/71
ポジション:
DF
経歴:
桐蔭学園中-桐蔭学園高-鹿島アントラーズ-清水エスパルス-鹿島アントラーズ-清水エスパルス

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PROFILE
08.10.31 UPDATE

― 小学生時代(青葉台YMCA/もえぎ野小学校)
サッカーとの出会いは3歳の頃です。僕は三人兄弟の三男で、兄二人がサッカーをしているところに入っていったのがサッカーとの出会いでした。小学校1年生の時に青葉台YMCAに入りました。練習は週2回しかなく、習い事の延長でしたので、よく一人でボールを蹴っていました。3年生から学校の少年団にも入りました。YMCAも少年団も決して強いチームではありませんでしたね。いい成績を残した記憶はありません。ある日、よみうりランドで開催される全国少年サッカー大会に出場したことのある千葉県のチームと対戦したんです。強豪と対戦できるので楽しみにしていたら、0対10で負けたんです。これはすごくショックでした。チームはだめでも自分はそこそこできるんじゃないか、と思っていたので、かなりショックでしたね。

― 中学生時代(桐蔭学園中学校)
桐蔭学園中学は家から10分と近かったですし、勉強が苦手ではなかったこともあって中学受験をしました。兄がヴェルディのジュニアユースに受かったので、桐蔭学園に受からなかったら僕もジュニアユースに行ってみたいな、と思っていましたが、受かったので中学校の部活で頑張ることにしました。中学のサッカー部もそんなに強くはありませんでした。僕は子どものころからずっとサッカー選手になりたいという夢を持っていたんです。でも、試合では勝てませんし、自分より足が速い選手や上手い選手と対戦して、不安と劣等感がどんどん膨らんできた時期でもありました。

― 高校への進学
桐蔭学園高校はサッカー部を強化していて、特待生制度があるので、このままいくと高校にあがったところでサッカー部には入れません。「サッカーをやめなければいけないのかなあ…」ということが頭をよぎりました。でも、小さい頃からずっと好きで、ずっとやってきたので、あきらめたくなかったんです。サッカーが好きという気持ちや、僕はできるんだ、という気持ちは強く持っていたんです。それで何人かで李監督のもとに行って、練習に参加させてもらったんです。2、3日練習に参加させてもらったところ「明日から来い」って言ってもらえました。すごく嬉しかったですね。

― 高校生時代(桐蔭学園高校)
サッカー部に入れたのは嬉しかったんです。でも、みんな県選抜に選ばれるような選手だから上手いですし、そこから先はついていけないんです。だからとにかく必死でした。でも、一番下だという事実を認めていましたので、前向きにやればいいんだ、といい意味で開き直れたので、不安と劣等感がなくなっていたんです。李監督の練習は厳しかったのですが、成長できる喜びが僕にはありました。そしてサッカー選手になりたいという夢がどこに行ったのかわからなくなるほど、ひたすら必死に練習に打ち込んでいました。李監督からは、頭を使ったサッカーを教わりました。特にポジショニングの大切さをとことん教えていただきました。また個人戦術が自然と身につくような練習をしてくれたんです。ボールコントロールにしても、キックの足の振りにしても、すごくわかりやすかったから、ここでサッカーの基礎を身につけました。
1年生の秋に、それまでまったくメンバーに入っていなかったのに、急にメンバーに入ったんです。李監督から「隆三、お前は将来のために大きな舞台に慣れておいた方がいいぞ」といきなり言われたんですね。なにを言っているんだろう、とその時は思いました。桐蔭学園は高校選手権の本大会に出場できることになったのですが、神奈川県予選のその1試合しか出ていないのに「選手権では隆三を使う」と言われました。どうしたらいいのかわからないくらい、ものすごく大きなプレッシャーでした。要求もすごく高くなりました。これだけ頑張っているのにそこまで要求されるくらいなら他の選手を使って欲しい、とも思いました。その時、監督から「お前の頑張りは、俺が思っている頑張りから比べればすごく低いところにある。お前はもっともっと上まで頑張れるはずだ」と言われました。その言葉を聞いた時に、夢を持つことにはブレーキがかからないのに、頑張ることに関して自分でブレーキをかけていたんだ、と気づいたんですね。ガツンと来ました。やるだけやってやる。僕の基本のスタンスはこの時に出来ました。大会としては国見にPK戦で負けたのですが、必死ながらも、出場できたことはすごく大きな自信になりました。2年生になってから、気持ちの部分で余裕を持ってプレーすることができるようになりました。

3年生のインターハイが終わった時に、李監督から「大学に行くのか、プロに行くのか、考えろ」と言われました。思えば、サッカー選手になりたいという気持ちを忘れるほど練習に取り組んでいましたが、一歩一歩を一生懸命にやっていたら、いつのまにか見える景色が変わっていたんですね。知らず知らずのうちにそんな場所に辿りついていたんです。そして鹿島の練習に1週間ほど参加しました。周囲が気を使ってくれたおかげで、練習にはついていけたんです。それよりも感じたのは、プロ選手になると一日中サッカーのことだけを考えていればいいんだということ。これは魅力がありました。迷いましたけど、どうせやるなら一番上にぶつかってみようとプロに進みました。

― プロになれた一番のポイントは?
小学校、中学校で落ち込んでいて、高校ではサッカーをあきらめるかどうかというところで、前を向いて一歩進めたことだと思います。前を向いていないと景色は見えませんし、前を向いていなければゴールや夢も見られない、ということだと思います。

【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫
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