
― 大会に入って、間隔が短い中で試合を進めていきました。
暑さはきつかったですね。だから頻繁に水を摂って。僕はサイドだったので、みんなより水を取りやすかったので助かりましたね。(笑)身体にも水をかけながらやっていました。
― 大会を通じて得たことはありましたか。
サイドバックをやっていたので、守備でディフェンスとラインをあわせなくちゃいけなかったんですね。そこが勉強になりました。守備の意識という面で、ひとつの新しい成長があったと思います。
― ビデオを見ると、両ウィングバック共にかなり高い位置でプレーしているんですよね。
相手のサイドに出てくる選手を高い位置に来させないためにサイドでは駆け引きをするんですよね。相手サイドに押し込めたら、どんどん押し込んでいく。逆だったら、引いて守るしかなくなってしまう。その駆け引きは相手ディフェンダーとの間でかなりありましたね。僕としても、そこで勝てば前の方でプレーできるので、かなりしっかりやっていきました。あとは押し込まれた時にラインをあわせることを監督がすごく重要視していて、ラインの上げ下げだけの練習もよくやっていたので、そこは勉強になりましたね。
― どの試合が一番印象に残っていますか?
負けた試合ですね。カメルーン戦とスペイン戦。PKまで行ったポルトガル戦とかも覚えていますけど、途中の試合は暑くて辛かったという記憶がほとんどですね。かなり長い間、海外に行っていたので「早く日本に帰りたいなあ」って思っていました。だけど、やる以上は勝ちたいというイメージもあったので。
― シャヴィやディエゴ・フォルランも出ていた同年代の世界大会だから、距離をはかるものさしになったのでは?
うーん、当時すでにJリーグに出ていたから、そうでもなかったですね。
― 世界でも普通にやれるなってくらい?
そうですね。同世代だったら変わらないなって。
― この大会で初めてフィリップ・トルシエ氏の指導を受けたけど、今思う、当時のトルシエ監督とは?
厳しい監督でしたね。ブルキナに行く直前のJヴィレッジでの合宿で「お前、ちょっと走っていろ」っていきなり走らされましたもん。罰走みたいな感じで。
― ミスかなんかの罰走ですか?
別にそういうわけではなくて。気が抜けたプレーとか、そういうのが嫌いだったんだと思いますよね。そういう姿が見えると、交代で出た選手でも、また交代させられるとか。それは練習とかでもそうだったので、練習自体、いつもピリピリしていたと思います。
― 小笠原選手は「人間教育的なことをしていたのかも知れないね」って言っていたけど。
どうなんでしょう。今思えば人間教育的な部分もあったのかと思いますけどね。僕らのことを、いつも大きな子どもだって言っていましたから、そういう意味はあったかも知れません。

― 見出した課題はありましたか?
はい。センタリングの精度や、パスの精度はもちろんですけど、フィジカル的なものはたくさん。当時は体重が軽かったんですよね。だから筋肉をつけなくちゃいけないなって。パスも長いパス、短いパスといろいろと蹴り方が必要だなって。近くにいろいろな蹴り方が出来る満男がいて、いいお手本にはなるので、そういう蹴り方を練習の中では試していますけど。
― 大会におけるサッカー選手としての成長は
いろいろな選手と戦ったり、一緒にプレーして学ぶことも多かったので、非常に有意義だったと思います。帰ってきてから何試合か出て、それでも通用しない部分があったので、ひとつの通過点としてもいい経験になったと思います。
― あのチームでもう一度やりたい?
そうですね。同年代なので一緒にやりたいとは思いますね。
― 素晴らしいメンバーでしたよね。
たしかに、今、A代表に行ったら、当時のメンバーがけっこういますからね。僕はみんなとやりたいので、頑張って代表のメンバーに残ろうと思います。
― ありがとうございました。
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