日本ユースサッカーの金字塔とも言うべき1999年ワールドユース・ナイジェリア大会での準優勝。この大会にエントリーされた選手19人(曽ケ端選手も含む)のうち12人が、のちに代表入りを果たした。スキルが高く、ハートも強いゴールデンエイジとも称される1979年組に、大会から6年たった今、当時なにがあったのかをリレー形式で聞いてみた。どんな言葉が飛び出してくるのだろうか。その第3回目は手島選手。
僕、本当にあまり覚えていないんですけど…。
― ワールドユース本大会の前にブルキナファソ合宿に行きました。ブルキナファソはずいぶん強烈だったという噂を聞いていますが、どんなところでしたか?
けっこうすごかったです。シャワーは水しかでないし、水が出ても錆びくさく茶色い水だったんですけど、その水でシャワーを浴びて。クーラーもあるにはあったのですが、そんなに効かなくて。
― 蚊がすごくて眠れなかったって小笠原選手や本山選手が言っていたけど。
僕は眠れたように思いますが、蚊は確かにすごかったですね。ホテルは本当にひどくて、大会でナイジェリアにいったらかなりよくなったんですけど。
― 食事はどうでしたか?
朝食のコーンフレークが一番美味しかったですね。鶏肉も焼いただけで、パスタも茹でただけだったので、食事はけっこう辛かったです。
― 部屋は誰と一緒だった?
うーん…覚えていませんね…。誰だったかなあ?
― ブルキナファソでは皇帝や国家元首に会ったそうですが。庭が動物園みたいになっていたって話を聞いたけど。
誰の家かは忘れてしまいましたけど、ライオンを見たことが記憶にあります。でっかい金網が張ってある中に何頭かいたんですね。そのへんにあるような金網の中にライオンがいて、出てきちゃいそうな感じで。ちょっと怖かった記憶がありますね。別のところでは、ワニも見たことがあるような気がするんですけど、それはどこだかよく覚えていませんね…。
― あまりブルキナの印象はなかったようだけど、ナイジェリアでは驚いたことはありましたか。
靴をはいていない人が多かったんですね。僕たちが恵まれているのか、いろいろと欲しいって言われて。ひとりにあげてしまうと、みんなにあげなければいけなくなるので気をつけましたけど。
― ナイジェリアで孤児院に行ったそうですが、どんなことをしましたか?
うーん。行きましたけど…どうだったかなあ。靴を履いていない人たちが普通の国だったので、あまり強い印象はありませんね。
― いろいろな選手が出ていましたが記憶はありますか?
シャヴィくらいは覚えていますが、他の選手は全然覚えていません。
― ディフェンスはラインコントロールとか対人とかいろいろと大変だったと思うんですけど。
ディフェンスに関してはラインをあわせてということくらいだったと思います。ほとんどがその上下動の練習でした。特に大変だったというわけではなかったです。
― とりあえず個人のスキルでこなしていっちゃった感じなんだ。
多分、そうだったと思いますね。
― 大会自体の印象があまりないようですね。
そうですね。その年代では重要な大会だったとは思いますけど、そんなに印象がないんです。
― この大会で初めてフィリップ・トルシエ氏の指導を受けたけど、今思う、当時のトルシエ監督とは?
うーん…なんというか。突然キレたりすることがありましたね。ユニフォームとかガーッって掴んでくるんです。そういう時は逆にやり返さないと、気持ちがない選手だと思われるので、やり返すようにしていました。
― ちなみに、もう一度、トルシエ監督の指導を受けてみたい?
いや、別に…。(笑)
― 大会で得たものは?
ラインコントロールは収穫できた部分だと思います。そういう守り方もあるんだなってことは今の自分に活きていると思います。
― もう一度、ブルキナやナイジェリアに行ってみたいと思う?
僕は行きたくありませんね。
― 逆に、早く帰ってきたかった?
それはありますね。
― 帰国当日に試合に出た選手もいるんだよね。酒井とか高田とか。
そうなんですか!僕たちは普通に京都に戻ってきただけですね。とにかく、ずっと日本食が食べたくて。特に焼肉とか食べたかったですね。
― ありがとうございました。