日本ユースサッカーの金字塔とも言うべき1999年ワールドユース・ナイジェリア大会での準優勝。この大会にエントリーされた選手19人(曽ケ端選手も含む)のうち12人が、のちに代表入りを果たした。スキルが高く、ハートも強いゴールデンエイジとも称される1979年組に、大会から6年たった今、当時なにがあったのかをリレー形式で聞いてみた。その第6回目は永井選手と酒井選手の対談の前編。
永「とにかく、すごく強烈でした」 酒「10日間くらいいましたっけ?」 永「2週間くらいだったんじゃない?」 酒「現地で暮らしている人には悪いんですけど、2週間もよく耐えたって感じでした。中でもすごかったのが、3日間くらい奥地に行った時ですよね」 永「ん…?」 酒「バスで行ったじゃないですか。途中で豚にぶつかったりしながら」 永「あーっ、行ったね!」 酒「3時間くらいかけて、ガタガタ道をバスで行ったんですよね」 永「よく覚えているなあ…」
― そこのホテルがすごかったって話ですよ。蚊の大量発生とか、シャワーが出ないとか。
永「蚊はすごく出たよね」 酒「その分、シャワーがちょろちょろとしか出なくて、他の人の部屋に行ってシャワーを浴びた記憶があります。それに浴槽が溶けていたんですよ」 永「溶けていた?」 酒「そう。なんか知らないけど、溶けていたんです。だから水が溜まらなくて。部屋は狭いし、暗いし。蚊はものすごく飛んでいるし」
― 手島選手を除いて、みんな眠れなかったって言っていたよ。(笑)
永「俺は全然寝られなかったんですよ。その時、たまたま俺が最年長だったから一人部屋だったんだけど、エアコンの隙間から蚊が入ってくるんですね。それで、スタッフの人に蚊取り線香をもらって焚くんだけど、ひとつじゃ全然効かないんですよ。だから、ベッドの周りに4箇所くらい置いて。そうすると今度は、蚊取り線香が煙くて煙くて、蚊より俺の方が滅入ってきて。まだ蚊はブーンブーンって飛んでいるし。まるで地獄のようでしたよ。(笑)」 酒「今までで最高にすごかったもんね」 永「そういえば、ホテルの側に川が流れていて、そこにヤギの頭がころがっていたよね!」 酒「えーっ? 俺、ホテルしか覚えていないけど」 永「覚えてないの?…っていうか、お前、そこにいたっけ?(笑)」 酒「…いたと思う。(笑)」
― ブルキナでの食事はかなりすごかったって小笠原選手が言っていたけど。
永「思い出したくなかったんですよ。だから記憶から消していたのに!(笑)」 酒「すごいものを食べさせるのが監督の狙いだったんじゃないかって。お前ら、こういうの食えないと走れなくなるぞって。無理やり食べさせられましたもん。しょうがないから、食べましたよ」 永「朝、コーンフレークの固まりみたいなものが出るんですね。それを部屋に持って帰っていたよね?」 酒「あったあった」 永「コーンフレークを持って帰って、とりあえずそれを食べる。夕飯の時にもそれを食べて」
― サミアコーチがコーラを取り上げてみんなが怒ったって、南選手が言っていました。
永「コーラ? そんなことで怒るなんて南も小さいね。(笑)」 酒「でも、確かにそんなことがあったかも知れないね」
― ブルキナファソに行ったから、ナイジェリアが楽だったという人が多かったんですが。
永「慣れたからというのかな。ホテルもきれいでしたからね。食事もちゃんと出たし」
― 日本食も出た。
永「最初は出ていましたよね。だけど初戦でカメルーンに負けて、現地のものを食べないから負けたんだってトルシエが言って、現地食になったんだよ。確か」 酒「そうでしたっけ」
― ナイジェリアでは孤児院に行きました。覚えている?
永「白いポロシャツを着ていったんだよね。行ってみると想像していたよりもきれいだった。全体的にナイジェリアはそんなにすごくはなかったよね」 酒「俺も覚えています…っていうか、今思い出しました(笑)」
― その孤児院でなにをしたの?
酒「うーん…」 永「子どもを抱っこしたことは覚えているけど、ほんの少ししか時間がなかったから」
― 小笠原選手は、孤児院の子どもたちも、町の中の子どもたちも、あまりご飯を食べられていないんじゃないかという印象はそんなに変わらなかったって言っていたよ。
酒「えっ、誰がですか?」 永「満男、満男。あいつ、大胆なことを言うね。(笑)」