日本ユースサッカーの金字塔とも言うべき1999年ワールドユース・ナイジェリア大会での準優勝。この大会にエントリーされた選手19人(曽ケ端選手も含む)のうち12人が、のちに代表入りを果たした。スキルが高く、ハートも強いゴールデンエイジとも称される1979年組に、大会から6年たった今、当時なにがあったのかをリレー形式で聞いてみた。第7回目は永井選手と酒井選手の対談の後編。
永「変わり者でしたね。なにを考えているのかわからなかった」 酒「へんなところで怒るんだよね」 永「それがいつなのかわからないんだよね」 酒「カベの練習とかさせられたんですよ」 永「あった、あった! カベの練習って最悪だったよね!(笑)」
― カベの練習???
酒「選手が5人くらい並んでフリーキックの時のカベを作るんです。その後ろにもまた5人のカベ、その後ろにも5人のカベがいて。そこに監督が来て、カベの練習をするぞって至近距離からボーンってボールを蹴るんです。(笑)」
― 痛そうだね…
酒「絶対動いちゃいけないんですよ。カベは動かないからカベなんだって言って、思い切りボーンってボールを蹴るんです。みんながバーンってボールをぶつけられると、「よし次、交代」って後ろの5人の番になるんです。カベの練習をしたのなんて生まれて初めてですよ。(笑)たぶん、機嫌が悪かったんです」 永「機嫌が悪い時にそういうことやるんだよね」 酒「他にもいろいろありましたよね」 永「練習中に、暑いから水は頭からかけろって話になったんですよ。それで水をかけていたら、突然トルシエが来て「そんなのじゃ足りない!」って、髪の毛引っ張られて、水をザブーンってかけられて。なにするんだよ…って、なんか俺ってそういう記憶ばっかりだよね!(笑)」
― 戦術的にはどうでしたか?
永「あの時は画期的なフォーメーションって言われていたけど、俺はもっと自由にやらせて欲しかったな」 酒「でも攻撃陣は全然自由だったじゃないですか」 永「そんなことないよ。ずっと高原と二人で位置を見ながら前後の動きをしていたんだよね。もっと自由にやらせてよって思いながら」
― ボランチはラインの動きに参加していたという遠藤選手の証言はあったけど、両サイドはどうだったの?
酒「どっちかが参加するって感じでした」 永「外の選手がボールサイドに絞って、ウェーブで出て行けって感じじゃなかった? そんなことずっとしていたよね。暑いのにまたやっているんだ、ディフェンスは大変だなあって思いながらずっと見ていたもん」
― 3バックはラインの動きをずっとやっていたんでしょ?
酒「ずっとやっていましたね。3バックは一番きつかったと思いますよ。ただ、やることははっきりしていましたよね」 永「うーん…」 酒「若いからついていけたっていう部分もあるけど、決まりごとがはっきりしていたんですよ。こういう場合はこうするってみんな頭に入っていたと思います。それにしても、よくやっていましたよね。あの頃」 永「ブーブー言いながらもね」
― メンバーとしてはどうだった? あのチームでもう一度やってみたいって思う? 永「チームはすごくいいんじゃないですか? 俺は楽しかったけど」 酒「同世代ですからね」
― エキシビジョン・マッチとかやったら面白そうじゃない?
永「そうですね。やるんだったら、引退する前に、動けるうちにやって欲しいですよね」 酒「まだ、みんな大丈夫ですよね?」 永「今回、ツジ(辻本)がトライアウトでしょ?」 酒「まあ、大丈夫でしょ、ツジだったら。すぐ見つかるよ」
― あと高田選手と氏家選手もトライアウトに来ていたよ。
永「ヤスもそうだったんだ…。あれ? そういえば、友ちゃんも出たんでしょ?」 酒「…俺、大丈夫っす。ギリギリ大丈夫っす」 永「友ちゃん、今どこに在籍しているんだっけ?」 酒「…俺、2年間レッズにいるんですけど。(笑)」 永「あれ? レッズなんだ!(笑)ジェフだと思ってた」 酒「…ひとつ前は名古屋ですけど」 永「あっ、名古屋にいたんだ。ジェフのユースかと思ってたよ。(笑)でも、みんないいよね。アジア予選も一緒に戦っているしさ。予選を一緒にやっていると違うよね。俺も国際大会の中で自信をつけながらやっていきたかった部分はあるんですよね。本大会から入っていっちゃったから…」
― でも、前回大会には出ているよね。
永「前回大会も予選は出ていないんです。その時も本大会だけなんですよ。美味しい思いをしたんだけど、一番みじめーな思いもしたんです。(笑)やっぱり、段階を追っていかないと世の中だめなんだなって思いましたね」