日本ユースサッカーの金字塔とも言うべき1999年ワールドユース・ナイジェリア大会での準優勝。この大会にエントリーされた選手19人(曽ケ端選手も含む)のうち12人が、のちに代表入りを果たした。スキルが高く、ハートも強いゴールデンエイジとも称される1979年組に、大会から6年たった今、当時なにがあったのかをリレー形式で聞いてみた。第8回目は石川選手の登場。。
みんなも話したと思いますけど、一番記憶にあるのが奥地まで遠征した時のことでしたね。バスですごくガタガタの道を走っていったんです。途中なにかの動物をはねたりしながら。それで着いたホテルがすごかったんですよ。シャワーも茶色い水がチョロチョロくらいしか出ないし。それに食事がすごかったんです。
― そのすごかった食事ってどんなものでした?
まず、大きな入れ物にご飯がどんと入っているんです。それから野菜の入れ物と、肉。でも野菜は水がついていてあたる可能性があるから食べられなかったんですよ。監督は「現地のものを食べろ」って言うんですけど、さすがに危ないから食べない方が良さそうな感じでした。肉は鶏肉が出たんですけど、僕らが普通食べているような感じの肉じゃなかったですし、米は水っぽくて。僕はほとんど何も食べられなかったんですよ。それがきつかったですよね。
― それなのに、楽しみになっていたコーラを取り上げられてみんなが怒ったって話を聞きましたけど。
ありましたね。食べられない分、コーラでおなかを膨らませたりしていましたから、それがなくなったのはかなりきつかったんですね。(笑)
― その上、夜は蚊で眠れなかった。
そうなんですよ。マラリアが怖いから、蚊には刺されたくなかったんです。そのための対策もしていったんですけど、もう部屋中蚊だらけで、対策の意味なんて全然なくて。(笑)その上に、ベッドもすごかったんです。「ここってしばらく泊まった人がいなかったんじゃないかな」と思ったくらいですから。ベッドの上に埃がびっしりと積もっているんです。誰かが寝ていたら埃なんてあるはずないですからね。いや、本当にすごい体験でしたね。
― ブルキナファソでは皇帝や国家元首に会ったそうですが。
行ったような気がしますね。確かワニがいたところに行って。僕は触っていないけど、触ったりした人もいましたね。
― 暑さは大丈夫でしたか。
暑かったんですけど、わりとすぐ慣れました。それには問題はなかったです。
― じゃあ暑熱対策や環境対策という意味でブルキナに行っておいて良かった?
そうですね! その後のナイジェリアが楽でしたからね。 ― さてナイジェリアはどんなところでしたか。
きれいだったし、楽だったですよ。そういえば、ホテルのエレベーターが止まりましたね。僕、その時に乗っていたんですよ。止まって、落ちたんです。
― えっ、落ちたんですか? 新証言ですね。
3階くらいで止まったんですよ。「あっ、止まったなあ…」って思っていたら、ガンッ!って落ちて、下に叩きつけられて。
― 誰もケガはなかったんですか。
みんなケガはしなかったんですけど、突然落ちたのは驚きましたね。
― ナイジェリアでの食事はどうでしたか。
日本からコックさんが二人くらい帯同してくれたので、問題はなかったんですけど、監督は毎回怒っていましたね。「ナイジェリアに来て、なんで日本食を食べるんだ」ってずっと言っていましたよ。
― それに関しては、選手が日本食を食べることに抵抗があったのか、決勝の日の軽食が突然コーンフレークになった、という証言が相次いでいますが。(笑)
ありましたねー。軽食もないし、直前の練習もあったし。テニスコートで練習をして疲れちゃったし、おにぎりもなかったので決勝はつらかったと思いますよ。
― 決勝の日にも試合前練習をしたの?
確か決勝の日もしましたよ。散歩に行くってみんなで出かけて、突然テニスコートで練習を始めて。散歩のつもりだから、スタッフの方は水を持ってきていなくて、監督に怒られて。あわてて取りに帰ったんですよね。それぐらいハードにやったんですよ。
― 話を戻すと、リラックスルームも完備されていて、ナイジェリアは総じて良かったんでしょうか。
ブルキナよりは全然良かったですよ。リラックスルームにはいろいろなビデオがあって、そこに軽食とかもあったんですね。僕はビデオを見るよりも、ゲームをやっていたという記憶があります。プレーステーションを誰かが持っていっていたので。外に出ても、暑いだけでなにもないし、本当にやることがなかったんですから。