日本ユースサッカーの金字塔とも言うべき1999年ワールドユース・ナイジェリア大会での準優勝。この大会にエントリーされた選手19人(曽ケ端選手も含む)のうち12人が、のちに代表入りを果たした。スキルが高く、ハートも強いゴールデンエイジとも称される1979年組に、大会から6年たった今、当時なにがあったのかをリレー形式で聞く、昨オフに連載して好評だった続編。第12回目は高田保則選手。
そうなんです。トルシエがきて一番最初のJヴィレッジでの合宿には行ったんですけどね。
― 最初だからトルシエ監督も厳しかったんですよね。
厳しかったですよ。朝の7時くらいからアップなしでいきなり練習が始まったりしましたし、練習中に笑っちゃいけなくって。罰走があったり。ちなみに、僕も走らされました。(笑)昌邦さん(山本コーチ)が必死にフォローしていました。
― ブルキナ合宿落選は怪我などの理由があったんですか?
特になかったんですよね。Jヴィレッジ合宿組から5人くらい落ちたんですけど、それまで代表とか無縁だったので、しょうがないな、チームに帰って頑張ろうって。
― でも本大会には選ばれました。
予防接種の問題がありましたよね。本当は学(池田学選手/元湘南)と林(林丈統選手/京都)と阿部(阿部勇樹選手/千葉)を選びたかったって話で。でも、予防接種を受けていなかったから連れていけなかった。トルシエは「自分はナイジェリアに暮らしていたんだから、予防接種しなくても絶対に大丈夫だ」って主張していて。そういう意味ではしょうがなく連れて行かれるんだという印象はありましたよね。俺とかウジ(氏家英行選手/元草津)とか、最後に入ったメンバーとしては。
― このブルキナファソが強烈だったのでナイジェリアがラクだった、という選手がほとんどなのですが、そこを経ずに初めてのアフリカに入ったから印象は強かったんじゃないですか?
みんなはブルキナに比べればまだマシだよ、って言っていたんですよね。そうは言うけど、すごかったですよね。飛行機から降りると周りの景色とか独特の匂いとかあって。オランダから入ったんですけど、小型機だったのでかなり揺れたし。
― なかなかインパクトはあった。
そうですね。ただ、それよりも早くみんなに溶け込まなくちゃって気持ちが強かった。
― みんなが集まるリラックスルームには行かなかったの?
僕は本を読んでいるか、同部屋の播戸と話をしている方が多かったですね。溶け込むまで時間がかかるタイプで、クッキーとコーヒーを飲みにしか行かなかった。
― ナイジェリアで孤児院に行ったじゃないですか?
どこに行くんだろう…って連れて行かれたところは孤児院だったんです。子どもたちは懐っこくて、帰る時にはみんなで手を振ってくれて。それをよく覚えています。
― メンバーは誰と仲が良かったんですか?
播戸とかウジとか加地とかツジ(辻本選手)とか。播戸がテシ(手嶋選手)とかイナとか関西系の選手と多くいたので、それにくっついていましたよ。みんな懐っこくて。サッカー好きの少年の集まりみたいな感じで本当に楽しいチームでしたよ。みんな個性は強烈だったけど、まとまっていました。
1979/02/22生 身長:176cm 体重:68kg ポジション:FW