■U-18、高校総体、国体での活躍により、多くのチームが興味を示す中、1996年にジェフユナイテッド市原に入団し、同時に千葉大教育学部保健体育学科に入学した、初の「現役国立大Jリーガー」廣山望。
彼は2001年1月に念願であった海外のクラブチームへの移籍を果たすことになった。移籍先はセロ・ポルティーニョというチーム。南米パラグアイのチームであった。
「突然…ということではなかったんです。ジェフとの契約が2000年で切れるため、翌年度の契約交渉をしている時に、外国のチームからオファーがあった場合は行かせて欲しいということをジェフに伝えていたんですね。その後、代理人をたててチームを探していたら、パラグアイのセロ・ポルティーニョから話が来て…」
最初はレンタル移籍ということで?
「そうですね。ジェフは僕と契約を継続したいと言ってくれていたので、その間を取るような形で。まずジェフと契約をする代わりに、海外から話が来た場合にはレンタルでもすぐその場で移籍をさせてもらうというような条件の契約をしていたんです」
他にもオファーはあったそうですが。
「興味を持ってくれた南米のチームが他にもいくつかあったみたいですね。偶然なんですが、セロ・ポルティーニョにはジェフでフィジカルコーチをしていたグスタボというスタッフがいたんです。彼は僕のことをよく知っていてくれていて、そのうえ評価してくれていたんですね。だから、セロ・ポルティーニョでの話がまとまりやすかったというのもあると思います」
中田英寿の成功以来、日本の多くのサッカー選手が海外でのプレーを希望する。「職業として成功し、多額の年俸を得る」廣山にもそういった選手たちと同様に、サッカーで成功したいという夢があった。ただ彼には「島国的な日本から飛び出して日々を暮らしてみたい」という、生活としてのシンプルな希望もあったという。
「もちろん、サッカーで成功したいという気持ちはありました。サッカー選手ですからね。だけど、それと同じくらい日本という鎖国的なところから飛び出して、世界で生活してみたいという欲求が僕にはあったんです。世界で起こっている出来事に――例えばイスラエルとパレスチナの問題とか――非常に興味があったんです。でも、日本にいるとそういう問題がニュースで流れていても、テレビの中だけの話のように感じてしまう。そんな非現実的な感覚がありますよね。どんな大きなニュースでも他人事みたいに思えてしまう。これはまずいなと思った」
はじめてパラグアイという国で生活してみて、その感覚的な部分はいかがでしたか?
「日本に比べたらお金がない国なので、不条理なことや非合理的なことがいっぱいあるんですよ。大変なことは大変だったんです。でも現実的で、実に面白かった。だから、自分の今までやってきたことにこだわらずにニュートラルな意識でいられた」
どんな不条理が?
「時間にルーズだったり、いい加減だったり、日本だったら当たり前のものが揃わないとか。例えば、信号機があっても点いているのがいくつかにひとつだったり、車線があっても車が車線通りに走らないから、突然3車線になったりするんです。運転していたら正面に対向車がきたりする」
日本だとなかなか考えられませんよね。驚いてしまう。
「驚いたというよりも、パラグアイで全面的にカルチャーショックを受けてしまったんです。僕の中の価値観ががらりと変わってしまった。おかげで、いろいろなことを吸収しやすくなったというか、感受性がニュートラルになったというか。いろいろなものを肯定しやすくなった」
いろいろな不条理でさえも受け入れられるようになってしまった?
「これはおかしい、あれはおかしいと思っていたらきりがなくなってくる。郷に入ったら郷に従えじゃないですけどね。最初は驚いていましたが、自然とニュートラルに受け入れられるようになっていって。まあラテン系の国ですから、ルーズだとかそういう部分があっても、楽しくおおらかにやっていますので、それが苦になるようなこともなかったですし」
【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫 |