SPECIAL INTERVIEW
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このカルチャーショックにより、廣山は海外で継続してプレーすることを選択するようになる。「このまま帰ってしまったらつまらない。帰りたくない」その後廣山はパラグアイからブラジル、ポルトガル、フランスと渡り歩くことになった。

「ブラジルには3、4ヶ月いました。チームには所属していましたが、実際にはプレーすることができませんでした」

労働ビザの問題もあったと…

「当時ブラジルでは給料を払えているクラブが少なかったんですね。ブラジル人選手でさえも何ヶ月か給料が遅れていたし、スタッフも半年くらい給料をもらえていないという状況のクラブが沢山ありました。僕がいたのは大きくて有名で歴史のあるクラブなんですけど、やっぱり同じ状況だったんです。ブラジルの州としても、ブラジル人自体の働き口がない状況なので、新しい外国の選手を受け入れるのは難しいという判断があった。外国人に労働ビザを出すのは実に困難だったんです。それで6月のタイミングでチームを離れました」

それでポルトガルに移った。

「ポルトガルのブラガっていうチームからオファーが来て2002年の6月に移籍しました」

今度はヨーロッパという、今までの国とはまた違った文化圏になりましたが。

「南米は南米でいい経験でしたけど、やっぱりヨーロッパに来ると『ひとつステップアップしたな』という感じはありましたね。勝てばチャンピオンズリーグとかUEFAカップっていう道が開けてくる舞台ですから。しかも欧州選手権開催を控えて、ポルトガルという国自体、かなりサッカー的に熱が入った状況もありましたからね」

ステップアップした分の難しさはありましたか。

「世界中から選手が集まっていますからね。今度はアフリカの選手もいますし、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、コロンビア…といろいろなところからチャンスを掴んでやってきた選手がいます。だから競争も激しいですね。ポルトガルはイングランドやスペインのリーグに行くための足場的なリーグになっていて、なんとか活躍して次に行きたいっていう人が多かった。だから、なおさらでした」



ブラガでは左膝の負傷により出遅れてしまうことになった。「怪我をしているのとしていないのとは全然違いますからね。ただ、それも含めてプロサッカー選手」と廣山は当時を振り返る。

「調子が全然あがらなくて試合に出なくても、怪我をして試合に出なくても、結果としては一緒ですから。怪我がなければまた違う結果になっていたと思いますけど、それは今考えても仕方がないことですし」

その結果、ブラガを離れることになるのですが。

「スペインの2部やポルトガルの1部のチームからも話があったのですが、まだ行く先がどこになるか全然わからない状況の中、ポルトガルで待っていたんです。そうしたら、明日来いって連絡があって。行き先は予想外のフランスで」

言葉のハードルもあるし、迷わなかった?

「行く前には、フランスはちょっとしんどいかなって思っていたんです。トルシエとかのイメージもあったし、1年間付き合うのはしんどいかな…って。だけど、違った。生活が楽しかったんです。パラグアイでもそうでしたけど、普段の生活が楽しめれば楽しめるだけ得るものが多くなる。本当に行って良かったし、面白かったですね。これは行ってみないとわからなかった。推薦してくれた代理人に本当に感謝しています」

どんなところが良かったのでしょうか?

「僕の行ったモンペリエはフランスといっても南の方だったので、地中海沿いで気候も良かったですし、人々の感じはラテンそのものでした。スペイン南部の一番いいところとそんなに変わらないんですよ。しかも国として大きくて、経済的にもしっかりしている。そして人もいい。これは最高ですよね。豊かだけれど、根本的な人々の感覚はパラグアイやブラジルとかその辺りの人たちの持つのんびりとしたところがある。生活をするには理想的なところじゃないかなと思います」




【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫
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