SPECIAL INTERVIEW
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そのモンペリエで1シーズンを過ごした2004年8月、廣山は東京ヴェルディからのオファーを受け、Jリーグに復帰することを決める。フットボーラーとしてグローバルに活動する旅にひとまずピリオドを打った。3年半で4カ国の旅。移籍経験がある選手に話を聞くと「移籍にはパワーとモチベーションが必要」だと口を揃える。ましてや、国とチームを変えながらサッカーをしていくのだから、孤独や辛さに耐えるそれなりのパワーやモチベーションが必要となってくるはずだ。

「ひとつは結婚していなかったから。どうしても守らなければいけないものがなかったから耐えられたという部分はありますね」

パワーを自分に集中させることが出来たということですね。

「それと、そこに新しいチャレンジが待っているからでしょうか」

それがモチベーション?

「行き先が決まる1、2週間くらい前から、荷物をトランクひとつにまとめた状況で電話を待ちながら毎日を過ごすんです。電話が来たらすぐにその日の午後の飛行機に乗れる状態でいなければいけない。しかも何一つ残していけない。だから移動の前って本当につらいんです。でも、そこを乗り切ればまた新しいチャレンジがスタートできる。そう思えば、それだけでも苦しい思いをする価値がありました。それに、行きさえすればなんとかなるって体験的にわかっていたから」

でも、どうしてそんな苦労をしてまで海外にこだわったんですか?

「ひとつは、やっぱり…まだ日本に帰りたくないって気持ちがあったからじゃないですかね。このままで帰ったらつまらない、と思った。もしかすると、そう思うのは最初にパラグアイに行ったからなのかも知れません。最初がフランスだったら感じられることは少なかったと思います」

廣山選手的には、カルチャーギャップがあったから良かったってことでしょうか。

「普通に考えたら「なんでパラグアイ?」って感じの国ですよね。日本に生まれ育つという、世界的に考えても運がいい状況にいるわけです。しかも、僕らが小さい頃のことを考えたらJリーグというプロリーグが出来たってことはさらに幸運ですよね。僕はそこでお金をもらってサッカーができるという状況だった。それをわざわざ「バイトしたほうがいいんじゃないか」って状況のパラグアイに行った。(笑)」

えっ、そんなに報酬が安かったんですか?

「いえ、本当はそこまでひどくはありませんでした。(笑)パラグアイの中ではもらっていたほうだと思いますし、向こうで十分に生活出来るような額はもらっていましたから。それで、そんなパラグアイで得るものがあるのだろうかって半信半疑で行ってみたら、サッカー選手としても一人の人間としても想像以上に得るものが多かった。価値観も変わったし、懐も深くなった。それを考えたらどんなところでも行って新しいチャレンジをしてみるべきだと思うようになった」

サプリメントのように新しいチャレンジを取り入れ続ける廣山に、今後の展望について聞いてみた。

今後もまたオファーがあればヨーロッパへは行きたいですか?

「オファーがあって、行ける状況であれば行きたいですね、もちろん。それは誰でも行くべきだと思うし」

南米だったら?

「それも状況次第ですね」

逆に中東とかのチームだったら?

「個人的にはイスラムの国で生活してみたいという気持ちはありますね。でも、サッカー的には優先順位はヨーロッパとか南米のほうがまだまだ高いですよ。だけど1度は行ってみたいですね。イスラム圏には興味があるんです」

最近は中米にも興味があるようですが…

「メキシコとかでもやってみたい気持ちがあります。また、やってみる価値があると思うし。またそういう日が来ると信じて、Jリーグで結果を出していこうと思っています」

2005年1月。廣山は出場機会を求めてセレッソ大阪に期限付きで移籍を決めた。トランクひとつを携えて、新しいチャレンジに向かっていったことだろう。
廣山望のサッカーと暮らしを探求する旅はこれからも続く。

【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫
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